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プチお遍路さん 煩悩女性記者が自分探しで悟り (2010年4月6日 東京スポーツ 特集)

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- 2010年4月6日 
東京スポーツ・大阪スポーツ・中京スポーツ・九州スポーツ 
特集より -

人気のツアー開眼できた!?
プチお遍路さん
煩悩女性記者が自分探しで悟り

弘法大師がたどった四国八十八の霊場を巡礼する「お遍路」またの名を「お四国参り」。このお遍路をツアー商品として企画した「歩きお遍路ツアー」が注目を集めている。果たしてその実態や魅力とは?ホテルサンシャイン徳島と新日本ツーリストが主催する「歩き遍路ツアー」に参加した。(三浦優佳)

今回は「お四国参り入門」として、徳島県内にある第1番札所「霊山寺」から第10番札所「切幡寺」まで約24キロの距離をまわることになった。
いわば「プチ遍路」って感じか・・・。
おなじみお遍路スタイルの白衣(びゃくえ)と弘法大師の分身である金剛づえを携え、いざ出発・・と同時に、いきなり謎と疑問が頭に浮かんでしまう。
「なぜ、このスタイルで歩くのだろうか?」
先達(お遍路の案内人)の野瀬照山さん(29)が次のように説明してくれた。
「金剛づえは墓標を、白衣は“死に装束”を意味するとも言います」。まだ道路が整っていなかった時代、お遍路は命がけだった。道中命を落とすことも少なくない。人々は死ぬ覚悟を持って旅に出ていたのだ。

先人たちの思いを聞き、身が引き締まる。軽い気持ちで「お遍路ツアー」に参加してしまった私は大丈夫なのか・・・。

お遍路に通じる“遍路みち”を歩いていると、いたるところで道しるべを発見できた。これまで「お四国参り」をした先人たちが残したもので、「次にお遍路に来る人のために、迷いやすいところに建てたのでしょう」(野瀬さん)。お遍路中は足元の悪い山中を歩くことも多くある。心遣いに感謝感激だ。

お寺に着くと、野瀬さんにならい参拝した。まず山門で一礼した後、手水場で手を洗い、口をすすぐ。ご本尊をまつっている本堂と弘法大師の大師堂にそれぞれ「ロウソク」「線香」「納札」の3点セットをおさめる。「納札」とは住所と年齢、願い事を書く札。

あまり欲深くはないと自負する記者だが、とりあえず「お金持ち」と願い事を書いてみた。お参りの後は、納経所で納経帳にご朱印をもらう・・・。この一連の流れをそれぞれのお寺で行う。

お寺を後にしたら、次のお寺までひたすら歩く。道中は多くのお遍路さんとすれ違った。一体どのような目的で来ているのだろうか。

愛媛からの30人の大所帯で来た真言宗信徒のご老人たちは、ほとんどがお遍路参り経験者。60代の女性は「家内安全を願って、毎年、四国をまわっているの」と語っていた。長野からは、お遍路初体験の女性3人組が来ていた。タクシーで数日かけて徳島県内をまわるのだという。「親戚が事故で亡くなって、その供養に」

高齢者の姿が目立つ中、私服姿の若者もチラホラ見かける。

話を聞いてみると「こっちが地元で、おばあちゃんもお遍路をしてなじみがあった」「学校が休みだったので、お寺参りでもしようかと」「何となく興味があったので大阪から来ました」「春休みを利用して車でまわってみようかな」という。

地元の「ホテルサンシャイン徳島」の支配人・梯さんいわく、最近は徳島霊場を舞台にしたNHK連続テレビ小説「ウェルかめ」の影響もあり、若者のお遍路さんも徐々に増えてきているそうだ。

その背景を野瀬さんは「歩きお遍路中は、ほぼ無限の時間を授かることができるのも魅力のひとつです。若い人にとっては、歩きながら今後の指針を探るということが『自分探しの時間』となるのでは」と語る。

供養の思いもなく、「お金持ち」と願掛けし、お遍路に参加してしまった記者は、道中、食べ物のことばかり考えていた。まるで煩悩の塊だ・・・。

せっかくの時間を無駄にしたのだろうか。道中購入したすげ笠に書かれた「迷故三界城、悟故十方空、本来無東西、何処南北有」という言葉が、妙に心に突き刺さる。
「この世は迷いの世界で、物事が見えなくなっている。しかし悟ってしまえば、こだわりやわだかまりなど、何もない空(くう)である。本来は東も西も南も北もない。こだわりを捨て、おおらかに世の中を渡っていこう」(野瀬さんによる説明)

何だかすがすがしい気分になれたのだった。でも徳島って食べ物がおいしんだよな~。

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